来待石
大日堂の石原です。
先日、島根県の松江市にお墓の移設のお見積りに行って来ました。
山陰は「弁当を忘れても傘忘れるな」と言われる程、天候が変わりやすい地方だそうです。
中国山脈を通過しているときは本格的な雨でしたが、お寺に到着した時には雨も上がり、薄曇りの丁度良い天候で、ご依頼主様と「ご先祖様のお守りですねぇ…」と感謝しながらお見積りをさせて頂きました。
ご依頼主様のお墓がある場所は、松江市の宍道湖の近くの由緒あるお寺で、広島では余り聞かない宗派「時宗」のお寺でした。
更に、並んでいるお墓はこれまた広島では見かけない「来待石(きまちいし)」という石種で、黄土色の石が使ってあり、石碑の雰囲気が全く異なり、何となく優しい感じがしました。
「来待石」は、宍道湖の南岸に分布する「大森―来待層」で採れる1,400万年前の火山噴火により堆積された「凝灰質砂岩(ぎょうかいしつさがん)」だそうです。
お寺の境内には水輪(球形)の部分が直径3mはある五輪塔があり、上の空輪、風輪、火輪が鎮座ましましておりました。
しかも2基並んでいて、おそらくこの辺を統制していた権力者の夫婦墓ではないかと想像しながら、またまたロマンを感じました。
「来待石」について改めて調べてみました。
来待石は、灰褐色系の凝灰質砂岩で、砂岩特有の柔らかな表情が特徴です。
加工しやすく、耐火性が高く、古くは古墳時代に石棺や石室、宝篋印塔(ほうきょういんとう)や五輪塔などの供養塔や墓石、石段や石垣などに使われ、中でも江戸時代の松江藩主であった松平直政は、この来待石を「御止(おとめ)石」と命名し、藩外への持ち出しを禁止したほど重要視していたそうです。
現在でも、出雲灯籠や石粉を利用した石州瓦などが有名です。
石碑や墓石などは、遥か昔、古の頃よりその地域で出土されるもので作られていたのですね。
形も広島では見かけないもので、とても興味深いお見積りでした。
このご縁に感謝です。
合掌