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日々のこと

二葉山の仏舎利塔

キョウチクトウ

大日堂の石原です。

今年も8月6日、原爆の日が訪れます。

76年前の8月6日、あの日の朝もジリジリと強い日差しで、早朝からB-29の爆音が聞こえてきた…
当時中学生だった母は、実家(東区矢賀)で被爆しました。

「ヒロシマが大変なことになったそうな!」という近所の人の叫び声で防空壕から出てみると、市内から大やけどを負った人々が、中山や戸坂の家へ帰られようとされているのか、惨い姿で家の前を通られていた。
裏の矢賀小学校には大勢の怪我人が運ばれて、女学生の母たちは救護班としてお手伝いをした。

まだまだ沢山の話を、母は生前、この時期になると話してくれました。
毎年8月6日の朝8時15分にはテレビの前に座り、市内の方を向き、必ず黙祷をしていました。

新幹線口から北の二葉山に平和の塔(仏舎利塔)があります。
人類の幸福と戦争のない世界の恒久平和を念願し、また、原子爆弾で犠牲になった二十数万人の方々の冥福を祈るために、昭和41年(1966年)に建立されました。
昭和29年4月に日本山妙法寺藤井日達聖人により地鎮祭が行われ、その後12年を経て、昭和41年8月5日に落慶式が行われました。

塔の中には、インドのネール首相から贈られた仏舎利(お釈迦様の御真骨)一粒、セイロン(現スリランカ)から贈られた仏舎利一粒、モンゴル仏教徒から贈られた仏舎利一粒が奉安されています。
正面にはセイロン国から贈られた仏像が、真東を向いて座しておられます。

その落慶法要に、当時小学校の低学年だった私は、近所の幼馴染や姉妹と共に参列していて、今思うと本当に貴重な体験をさせて頂いたなあ…と思います。
ふもとの光町公園に町内ごとに集合し、父たち役員のおじさんたちが先導車をゆっくり走らせ、散華しながら二葉山頂上を目指します。

その時、体中をカラフルにペイントされた白い小象(子供だったので大きく見えた)も、インドからお祝いにやって来てくれて、一緒に登ったのを覚えています。
稚児行列も出て、それは小学校に上がる前の子供の役目で、妹達は衣装を着られたのに私はダメで、泣いたこともよく覚えています。(笑)
後に聞いた話では、その小象は、その後開園した安佐動物園で約二十年間、私達を癒してくれたそうです。

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

峠三吉

三度許すまじ原爆を…

合掌